DREAMS OF GORE:Phase 3
廃墟にて




う5年ぐらい前のことだと思うんだが。
土曜の夜中に、おなじみ浩平くんから「遊びに行こう」と電話が入った。
まァ片田舎のド夜中だから娯楽などそうあるわけでもないんだが、オレらは何をするでもなく浩平くんのオカンの車にまたがり。またがってどうすんだよ!ああそうか、え〜何だ、そう浩平くんが持ち出してきたオカンの軽自動車に乗って、初夏の生ぬるい空気を切り裂き、「屈強な黒人といきなり遭遇して一番ビックリするのは、どんな状況なのか」という問題について激論を交わしつつ、いずこへともなく爆走していたのである。時折ドライブインのうどん屋や24時間営業のバッティングセンターを冷やかしては「このへんが空爆とかされても、世間的には何の影響もねえだろうなあ…」なんてことを語らっていたオレたちだったが、浩平くんが強烈な眠気を訴え始めたため、止むを得ず隣町の駐車場にて一時休憩することになった。

「やっぱりなあ、」コーヒーの空き缶と灰皿いっぱいの吸殻を車外に不法投棄しながら、浩平くんが口を開いた。「山形とかの実家に一人で帰るんだよ。それで乗客がほとんどいない夜行列車の和式便所でうんこしてたら、いきなり背後でドアが開いて、振り返ったら黒人が鬼の形相でバット持って立ってるっていうのが、一番ビビるんじゃねえか?」

れから40分が過ぎた。オレたちは近所の「はなみずき橋」なる陸橋の名前がいかに変か、ということについて語り合い(はなみずき、なる植物の存在を知るのは、それからずっと後のことだった)、そしてさらに小野ヤスシの必殺技「ザ・ヤスシ」とその破壊力について激論を交わしていた。ふと気付けば時計の針は3時を回っている。ヨタ話を繰り出し合うのにも疲れ果て、オレも浩平くんも暫く黙っていた。ギター・スリムの『Hello, How ya Doin'? Goodbye』という、何だかよく判らないタイトルのブルースが流れていた。
「セックスしてえなあ…」浩平くんが突如、呻いた。それまで10年以上に及ぶ付き合いの中で、あからさまにセックスという言葉がオレらの会話に登場することはごく稀だった。それを口にしないことがバカの矜持であったのか、または照れていただけなのか、今となっては知る由もない。ただその得体の知れないこだわりすら鬱陶しく感じるほどに、なぜかその夜のオレらは煮詰まっていた。セックスしてえなあ。オレとて全く異論はなかったから、黙ってうなずくだけだった。土曜の夜3時。初夏の街は確かに寝静まっていた。それでもどこかの薄暗い部屋で、若い男女がセックスに興じていることは疑いようのない事実だった。にも拘わらずオレらは地元の駐車場で煙草をぶかぶか吸ってはゴミほどの価値もないトークに血道を上げているのだ。ひょっとすると気になるあの娘も今ごろ大変なことになっているかもしれないというのに。瞬間、オレの中の獣が憤怒の咆哮を上げた。ふと隣の運転席を目をやると、浩平くんも同じように暗い憎悪の炎を瞳の奥に燃やしていた。

「やってるわけだよ、今オレらがこうしてる間にも」オレはちょうど考えていたことを口にした。浩平くんは何も答えなかったが、オレにはその沈黙で全てが事足りた。「この駐車場だってお前、」と口にしてオレはハッと我に帰った。オレらがいつ果てるとも知れないヨタ話のスパーリングを繰り広げていたその駐車場は無闇に広く、ちょっとした野球場ぐらいのスペースは十分にあった。そんな駐車場の6割ほどを自動車が埋めている。だが妙なことに、そこに車を停めてどこぞへ向かうような施設は周囲に何もなかったのである。つまり夜中の3時にそれだけの数の車が停まっているのは不自然なのだ。これは…オレは直感した。「カーセックスしてる奴、いるな」浩平くんが言った。次の瞬間、オレたちは車から飛び降り、アスファルトの上を血眼で這いずり回っていた。

手に別れて無数の車の間を歩き回り、ゆっさゆっさとサスペンションを効かせる自動車を探す。オレは真剣だった。少なくとも前後10年ほどは、あれほどまでに真剣になった記憶はない。心から信じればきっと叶う…オレは心の中でそう唱えていた。だが物事すべてがオレたちの思うように運ぶわけではない。むしろ思い通りに行かないことが殆どなのが人生だと悟ってから既に久しかった。男女のあれやこれやの匂いをさせながらゆっさゆっさと揺れる車の姿はどこまで行っても見つからず、だらしなく口を開けて仮眠するオッサンを乗せたカローラが時どき見つかるだけだった。ワシゃ何やってんの。こんな地べたで……オレの心に、お馴染みの敗北感が忍び寄り始めていた。オレは立ち上がり、浩平くんの姿を探した。帰ろう。帰ってエロビデオでも見れば、それで済むことじゃないか?しかし浩平くんの姿は見えない。飽きもせずに駐車場を匍匐前進しているのだろうか。しょうがねえなあ。オレは2秒前までの自分を棚に上げて呆れていた。その瞬間、誰かがオレの右腕を掴んだ。心臓が急停止した。なぜかお詫びの言葉の在庫を総ざらえしながら振り向くと、そこには浩平くんがいた。見たこともないような赤い顔をした浩平くんは口を手で押さえ、必死で駐車場の向こうを指さしている。オレは何が起こっているのか理解できないまま、その指が示す方向に眼を凝らした。駐車場のいちばん奥。信じられないものをオレたちは見た。暗がりの中で、黒いワゴン車が上下左右にゆっさゆっさと揺れていた。

分たちの読みが外れていなかったことを誇らしく思いながら、オレたちは腰を落とした格好でワゴン車に向かって突進した。無理な格好で全力疾走するから腰に激痛を感じるのだが、もはやそんなことはお構いなしだった。今、オレたちのすぐ前方に、男女2人の愛欲の宴が繰り広げられているのだ。ガラス張りの密室で。日常を突き破って。腰の痛みなど物の数であろうはずがなかった。オレにとっても。浩平くんにとっても。または車内の男女にとっても。あるいはその時、オレたちと男女2人、見知らぬ者同士の心がひとつになったのかもしれない。いやそれはどう考えても妄想だが。ともあれオレたちはついにワゴン車の足下に滑り込んだ。そこからゆっくりと伸び上がって、ゆっさゆっさ揺れる車内を覗き込む。しかし狭い車内で繰り広げられているのは男女2人の愛の行為ではなかった。男2人。ひとりは金髪でタンクトップの、もうひとりは角刈りで黄緑色のTシャツを着た男2人が。ワゴン車のシートを倒して、殴り合っていたのだ。
金髪の男のほうは鼻血を流している。真っ赤な鼻血が、紅潮した顔に蜘蛛の巣のような模様を作っていた。「ドムッ!ドムッ!」という鈍い打撃音と、それに2人の荒い息遣いが、ウィンドウのこちら側からでもよく聴こえた。なぜかそれを聴いている自分自身が殴られているかのような錯覚をオレは覚えた。どれだけの間、ガラス張りの密室で取っ組み合い、互いの脇腹にパンチを入れ続ける2人の男を見ていただろうか。オレも浩平くんも、暫くそこに突っ立っていた。

れからのことはあまり憶えていない。記憶に残っているのは、向こうの暗闇から「何してんだお前らコラー!」と怒鳴ってオレたちのほうに走ってくる人陰に気付き、全力疾走で浩平くんの車に戻ったこと、そして白みはじめた街を爆走する軽自動車の中で、夏も近い6月に2人して震えていたことぐらいだ。浩平くんとオレは戦慄していた。おしっこが漏れるかもしれん、あのとき確かにオレは覚悟した。戦慄という言葉の意味を、オレたちはこの夜初めて知ったのかもしれなかった。車内にはギター・スリムのどうでもいいブルースが流れ続けていた。


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