DREAMS OF GORE:Phase 1
爆発する世界



近はどうも日記のほうにネタを持っていかれがちな当コラムだが。それはオレが日記に日記らしいことを一切書かないからだろうか。しかしオレの日常がどうしたこうしたなんてことを一体誰が知りたいというのか。オレがスリル・スピード・セックスの、人も羨む3Sな生活でも送っているのなら話は別だが。ところで昔から思うのだがスリルの頭文字はSじゃねえだろう。とかそういう細かいことを言う奴は嫌いです。そもそも3Sなんて言いませんよ。なんてことを言う奴はもっと嫌いです。表に出ろ!オレは中にいるから。なっ! 

ていつも苦労する導入部も無事に終わったところで。と思ってるのはオレだけかもしれんが、そんなことは問題じゃないんだ。でもまァ、どうやって話を始めるかということはね、毎回毎回悩むところですが、これは実生活においても同じことでございますな。というのもオレのダチというか元タッグパートナーのアニマルさんという人がいるのだが、彼がある朝オカンに「あのさあ」と話しかけたら「何?お金?」と返されたそうです。当時すでに25を過ぎていたアニマル的にはそんなつもりじゃなかったんだが、せっかくだから500円貰った。とまァ、ですから話の切り出し方というのは、これはいつも苦労するものだということがオレは言いたいのだった。

いうわけで今日はなかなか本題に入れないのだが、それは何でかというと本題が実に大したことないからだ。しかしこのサイトに何か大したことあるものが一度でも存在したことがあったか。そもそも何をもって大したことあるなしを判定するのか。何よりオレのこの、大したことないネタだと判っていてなおダラダラ書きつづけるしかないというヤケクソな心意気こそを評価してほしいとオレは思うわけだが。さてそろそろいい加減に本題に入ろう。

つてオレが少年時代を過ごした街に「世界」というラーメン屋があった。ラーメン屋というよりは一応中華料理屋か。鯉の姿煮とかがメニューにありましたからな。なんでそんな鯉の姿煮なんてものを憶えてるのかといえば。オレが小学校の行き帰りに眺めた「世界」のショーウインドウ。そこにはいつ何時でもバカでかい鯉の姿煮のサンプルがゴロンとしておったからである。それがどんな料理なのか、まだ幼いオレには想像もつかなかった。だがきっと、甘すぎず辛すぎず。しかし微妙なすっぱさがあるような、えー何ともほどよい、この、あー大人の味というんでしょうか。適当なこと書いてるといずれ罰が当たりますよ。鯉の姿煮。まだ年端も行かないオレの憧れだった。オレの青春だった。小学校の行き帰り。「世界」のショーウインドウに顔をへばりつかせて、泰然と横たわる鯉を眺めるのがオレの日課であった。「世界」のババアは実に愛想が悪いこと、および見事な角刈りで知られており、オレはショーウインドウ越しにババアと目が合うや逃げるように家に帰るのだった。そんな子供時代を過ごしたオレがいま、ラッパが欲しくて楽器屋にへばりつく黒人の子供を笑えるだろうか。ワハハハハハハ!あっ笑った。

んなある日。オレはいつものように「世界」の前を通って小学校から帰宅したのだが、その日はなぜか店の前に人だかりができていた。普段「世界」の前で立ち止まるものといったらオレぐらいだと思っていたから、これは変だと店に駆け寄ったオレの目に飛び込んできたのは、「世界」の店先に突っ込んだ米屋の軽トラックのケツであった。粉々に砕け散ったガラスやラーメンの丼が散乱する中で、無愛想な角刈りのババアが広東語だか北京語だか、訳の判らない言葉で現場検証に来た警官に何ごとか怒鳴り立てている。実はババアが中国人だったとオレはこの時はじめて知ったのだが、そんなことは全く問題ではなかった。なぜならトラックが綺麗に突っ込んだ先が例のショーウインドウだったからだ。無意識にオレは鯉の姿煮を探した。砕け散って散乱した皿や丼の残骸の中に、その姿は見当たらなかった。バラバラになった陳列棚付近のどこに目を走らせてもその姿はない。と思ったら道路の向こう側に鯉は吹き飛ばされ、妙に反っくり返った姿でアスファルトに打ち上げられていた。どうやら衝撃で、その胴体に多少の歪みが生じたらしかった。だがそれさえ除けば鯉の姿煮は無傷だった。嬉しさに我を忘れたオレは人目を盗んでそんな鯉を保護、自宅に連れて帰ってオカンにこっぴどく叱られたのだった。

れから2か月が過ぎたある日、「世界」は電撃的に新装開店を果たした。店の顔である玄関を無茶苦茶に破壊された「世界」が、その事故を契機におそらく閉店するだろうという読みが町内的には多数を占めていた。そうした憶測の裏に、「だってあそこ、不味いもん……」という心理が働いていたことは疑いようのない事実だった。事実オレの家族も一度だけ「世界」を訪れたことがあったのだが、結果もともと会話が多いほうではなかったホーク家が一層気まずくなり、さらに帰路、オレが盛大にゲロを吐くというオマケまでついたがために、家庭内で「世界」の名を口にすることはその後タブー中のタブーとなったのである。それだけにあの激烈にクソ不味い中華屋が再建したとの報はまさに晴天の霹靂として家の中を、そして町内を駆け巡ったのであった。しかしその知らせを受けた翌日、小学校から帰途につくオレが目にしたのは紛れもなく再建を果たした「世界」であり、相変わらず愛想の悪い角刈りのババア、そんなババアに隠れて影は薄いものの見事なオバサンパーマをあてたコックのオヤジ、さらにオレがあの事故の日の夜、泣きながらそっと返してきた鯉の姿煮のサンプルであった。食品サンプルは基本的に鑞で作られている。だからぬるま湯に漬けでもすれば多少の歪みは治るはずなのだが、鯉はあの事故の日、オレが道端で発見した時そのままの姿で反り返っていた。そんなわけでオレは「世界」がそのサンプルに愛着を持っているのか実はどうでもいいのかサッパリ判らなくなったものだが、とにかくまァよかったなとオレはスキップで帰宅したのである。なお、無傷だったはずの店内は妙に明るく改装されており、その上ボロい14型のテレビは木目をあしらった21型家具調テレビに交換されていた。「事故は儲かる」幼いオレの心に、そんな鉄則がこのとき叩き込まれたのだった。

らに10か月。結局「世界」は順調に営業を続け、街でいちばん不味い中華屋との称号を欲しいままにしていた。21インチの家具調テレビもフル稼働であった。
しかし歴史は繰り返した。とある秋の日の未明、今度は新聞屋のトラックが「世界」の店頭をビッグ・ヒットしたのである。それもこれも「世界」が、Y字路のちょうどド真ん中に位置していたせいであって、決してオレが話を作っているせいではない。そんなわけで2度目の事故に直面した「世界」であるが。前回、店頭のショーウインドウが粉々になっただけであったのに比べ、今回店に突っ込んだトラックはショーウインドウを通過、テーブル2個、椅子7脚、電話台および赤い10円電話、さらに金魚が泳いでいた水槽までを破壊したのだった。
再建からわずか1年にも満たないうちの事故。今度こそ「世界」の息の根は止まったかに見えた。というか町中の誰もが、むしろ息の根が止まってくれねえかなと願ったものだった。にもかかわらずそこは中国人ならではの根性または執念なのか、またしても「世界」はよみがえったのである。

「事故は儲かる」との不文律。
それを決して忘れていなかった見事なオバサンパーマの店主および無愛想な角刈りのババアは、2度目の再建に際して未だ小汚かった店内を一気に改装、さらに小さな中華屋の店頭には明らかに不釣合いかつ悪趣味なネオンまで掲げたのである。それだけではなかった。ぎらぎらとネオンが輝く店頭、その傍らにはなぜか昼日中からギーコギーコと音を立てて水車が回り、および玄関に覆い被さるようにして真っ赤な鳥居が設置されていたのである。ここまで来ると完全に意味不明であった。しかし例の鯉の姿煮はさらに湾曲して生き残っていた。その湾曲ぶりは幼いオレに、ハトヤのTVスポットでねじり鉢巻のガキが抱えていたデカい魚を思い出させた。それほどに躍動感あふれる姿で、鯉の姿煮は新装なったショーウインドウに横たわっていたのである。オレは2度目の復活を遂げた「世界」の前を通るたびに、彼らの鯉の姿煮に対する執着に慄然とするのだった。

て、そうして事故のたびに巨大化してきた「世界」だが。 それだけ過剰に店頭を飾っているのも、おそらくはまたトラックが店に突っ込むことを想定しての行動だろう、というのが周囲からの一致した憶測だった。しかしまァそんな下衆な読みも当たることはなく、店の構えは壊滅的に悪趣味ながら、あと肝心のメシが殺人的に不味かったりもしながら、それでも「世界」にようやく平和な日々が訪れたかに見えた。実際はまたダンプでも突っ込まねえかなと思っていただろうから、店のオヤジおよびババア的にそんな平和はむしろ有難くないものだったのかもしれない。

れから10年あまりが過ぎたある夜、「世界」の勝手口に置かれていたプロパンガスが爆発した。店のオヤジおよびババアは2階で寝ていたために怪我人は出なかったが、2度の事故を経て怪物的な成長を遂げた1階の中華屋は一瞬にして廃墟と化した。今度はどこに賠償金を出させるわけにもいかない。町でいちばん不味い中華屋、「世界」はこうして崩壊した。その頃にはオレも鯉の姿煮に心を奪われることはなくなっていたから、「世界」爆発の知らせを聞いても、とりあえず大爆笑するだけであった。

して先日。オレはヤボ用があって、すでに離れて久しかった町を再び訪れた。「世界」が爆発してから何年が経過しただろうか。オレは鯉の姿煮を眺めて行き帰りした小学生の日々をふと思い出し、かつて「世界」があった場所へと足を運び、そしてあまりの衝撃に腰を抜かした。おそらく駐車場にでも姿を変えているものとばかり思い込んでいた「世界」が、そこには建っていたのである。オレは狼狽しながらも、そこに存在するはずのない中華屋の佇まいを確認した。もはやネオンも鳥居も水車もなかった。店頭にはただ「世界」と殴り書きされた小汚い看板と、そして埃にまみれたショーウインドウがあるだけだった。信じられない思いでその中を覗き込み、オレはもう一度腰を抜かした。 そこにはあの鯉の姿煮のサンプルが無造作に置かれていたのである。幼い日、オレが毎日毎日眺めた鯉の姿煮。長年に渡って日光にさらされ続けた結果として真っ茶色に褪色し、さらに今や名古屋城の鯱なみに反り返って「誰がこんなもん食いたいと思うのよ…」オレもそう思わないでもなかったが、まァとにかく鯉の姿煮だけは変わらずそこにあったのだった。あと、ショーウインドウ越しに確認したところによるとオヤジが角刈りになって、ババアがオバサンパーマを当てていたが、あれはもしかするとオヤジのババア化ならびにババアのオヤジ化が進んだだけのことだったかもしれないので、敢えてここでは触れない。
そんなわけで「世界」と鯉の姿煮の無事を確認したオレは、昔住んでいた町を後にした。「世界」でメシを食おうかとも一瞬考えたが、やめておいた。ここで美しい思い出をゲロとともに流してしまいたくはなかったから。まァ実際は美しい思い出も何もないんだが。だから適当書くなよ!




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